雑記2号

雑記置き場2号店

――親の心子知らず、子の心親知らず 『ラブライブ!サンシャイン!!』第九話感想

 前回の記事で「連続更新する」言ってたのにやってなかった件。仕事じゃなくて趣味でやってるんだから、更新するする詐欺かましたっていいじゃない!
 閑話休題、ようやく九人揃った「Aqours」。本稿では、すれ違ってばかりいたあの三人について考察していきたいと思う。




◆小ネタ

ヨハネ氏必殺技持ちとかワロタwwwwwワイにかけてくれてもええんやで()
・ルビィとダイヤの姉妹演出をすごい盛ってきたな。ヨハネ氏の必殺技くらった時のリアクション、「ピギィ!」などなど。
・ヨ―ソローさん制服に見境なさすぎでしょ、地面に高飛び込みダメ、ゼッタイ。
・そういえば、梨子もまた何もできずに舞台から去った苦い過去がある。彼女もまたどこかでその過去と向き合う必要があるのではないだろうか。





◆思い出と未来、今この瞬間

 八話までで描かれてきたように、マリーは過去のために動いている。果南とダイヤとともに過ごした時間を、二人ともう一度過ごせる日々を取り戻すことが彼女の本懐だ。転校から旅立って以降ずっとそれだけを夢見て、二年も耐えてきたマリーの思いはすさまじい。わざわざ何度も煽って、果南とダイヤの熱を甦らせようとし、果南から明確な拒否をされても立ち向かう姿が、彼女の情熱を端的に示している。
 目的を果たすためには、一番にスクールアイドルを拒絶する果南を説得しなけれならない。ここで肝心なのは、果南がスクールアイドルを挫折した理由だ。それを分からないまま説得したところで梨の礫というもの。我々視聴者やマリーは、例の東京イベントが挫折の原因であると予想していたわけだが……


 果たして松浦果南は、誰かのために汚名を甘んじて被ることができる人間のようだ。
 負傷したマリーに怪我を悪化させないため、将来を期待される親友の邪魔をしたくない――その一心で果南はパフォーマンスを放棄する。歌えなかった原因は自分の弱さと切り捨て、もうやりたくないと逃げる振りをした。
 マリーをスクールアイドルから解放するためだけに、ステージで歌わないってとんでもない度胸だよ。別に「出演をキャンセルさせて欲しい」と、主催に声をかけることも選択肢にあったのだ。それを敢えてステージで立ち尽くすことにしたのは、やはりマリーのため。単純にキャンセルを掛け合えば、マリーに自分の負傷が原因だと思わせることになるかもしれないと、果南とダイヤは予想したのだろう。それにマリーの強靭な意思は、負傷のために棄権した程度では絶対に挫けない。故に、自分がパフォーマンスできなかったように仕向けるしかないのだ。千歌といい果南といい、気を遣いすぎだぜ……
 いくら友のためとはいえ、せっかくの舞台で三人で今まで頑張ってきたことを披露せずに終わるとは、果南自身きつかったのは言うまでもない。加えて、マリーを無理矢理スクールアイドル活動に引っ張り出した体面すらもブン投げようとした。「どんなことにも諦めない」と評される果南は、なるほど一本気で筋をキチンと通そうとする性格なのだろう。親友の将来のために自分の哲学も簡単に曲げ、ずっと“分からず屋”を演じてきた不器用な友情は、彼女の美徳でもあり、ある種の残酷さを表しているだろう。
 だって、他方から見れば、それは優しさという名の“身勝手”に他ならないのだから。マリーの本当にやりたいことを確かめず、自分が考えうるマリーの未来のために動こうとする……果南の真意を知らず、勘違いしたまま果南を過激な手で励まそうとしたマリーもまた、自分勝手な優しさをぶつけていたに過ぎない。こうした不器用な優しさは、どこにだって転がっている。良かれと思って動いたことが裏目に出て、軋轢が生じる。お互いを思いやり、分かり合うことは難しい。


 「逃げたわけじゃない」と零したダイヤは、実のところマリーと果南、両者の気持ちも事情も知っていた。つまり、板挟みの立場にいる人だ。
 思えば、この人はいつもどこかで何かに挟まれているように見える。ひた隠しにしたスクールアイドル愛と見せかけの反スクールアイドル<一話~三話>、妹への態度<四話>、そして果南と鞠莉<四話~九話>。
 彼女はどちらに偏るということもなく、一つの公平さをもって見守ってきたように思う。彼女は、本気で戦う人間にはとても優しい。三話のファーストライブを救ったのも、廃部確定でも設備不良で事故っても歌う千歌たちの気合を見たから。当然姉心もあるだろうが、ルビィの入部を許可したのも花丸の友情とルビィの本気を受け取ったから。
 そして、人の思いを真っ直ぐに受け止める彼女は、果南とマリーのすれ違いすらもずっと見守ってきた。マリーの将来を守りたい果南はマリーを遠ざけようとし、ダイヤは果南の“優しさ”を黙認する。その態度は対案を出しすらしないほど。
 言い方悪いけど、ダイヤは何もしなかった人とも評することができる。それぞれの思いを知っているのならば、親友ならば、両者を繋げようとする気持ちがあってもいい。<あれはマリーの将来を守るため><マリーは果南の傍にいたいんだ>と、双方に介入できる立場だったはずだ。だが、当時そうした差し出口をせず、二年越しにようやくあの時の“回答”を教えたに留まっている。そうした“奥ゆかしさ”に、ダイヤの美点を感じる。思う道を往く二人の邪魔をせず、その時その時の結果をあるがままに受け入れる。それもまた強さだ。