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――“手のかからない良い子”は不遇である 『ラブライブ!サンシャイン!!』第十一話感想

 俺は独善的かつ偏屈な人間なんでね、好き勝手言わせてもらうぜ。だって、どう描くか楽しみにしていたのに、大して面白くなかったんだもん。ていうかね、正直に言ってあれはやっちゃいけないでしょうよ。こんな話では盛り上がるわけがないぜ。



 


◆小ネタと小言

・ダイヤさまがはしゃいでてカワイイ件。「Aqours」メンバーの中でも、一、二にを争うほど抑圧されていたであろうダイヤさまがああなるのは当然なんだな
・拙僧も生徒会の手伝いをやりたいですぞ、ダイヤさま!
・お当番会を終えた一年生組、特にルビィ花丸は、“マスコットキャラクター”感ばかりが目立つな
・ずっと絡んできたダイヤ・マリーと一、二年組の距離感がある程度確立されているのはなんとなく分かるが、スッと現れた果南と曜千歌を除いた一、二年生との距離感ってどうなんだ? そこを踏まえると、果南と梨子たちの交流を描く必要もあったのではないかな



 


◆本稿のポイント

・曜の願いはいったいなんなの?
・果たしてそれは魅力的に描かれていたのか?

 以上の二点を踏まえて、「友情ヨ―ソロー」を振り返りたい。いや、ホント今回はガッカリしたぜ。というわけで、早速始めよう。

※表記について:『ラブライブ!』一期九話→LL_S1-9/『ラブライブ!サンシャイン!!』一期三話→LLS_S1-3





◆願いは儚い

 曜は、始めて夢中になるモノを見つけた幼馴染と同じ時を過ごしたい、そんな願いを抱いてスクールアイドル活動に身を投じた。しかし悲しいかな。多芸な曜でも作曲スキルはなかった。オリジナル曲を必須とするラブライブに出るためには作曲ができるメンバーが必要だった。そこで、内浦に舞い降りたは梨子。作曲能力に秀でた彼女をスカウトできたことで作詞・作曲・衣装が揃い、ようやく千歌たちのスクールアイドル活動が始まったわけである。
 スクールアイドル活動で特に重視されるのは、作曲と作詞。つまり、オリジナル曲を製作する力である。この点は、硬度10のラブライバーことダイヤもスクールアイドル活動における初歩の初歩として挙げるほどだ。必然的に、発起人であり作詞を兼ねる千歌と、その歌詞を音にする梨子は、「Aqours」の中で中心的な立ち位置となっていた。野球で例えるなら、千歌と梨子はバッテリーの関係なのだろう。役割的にも、出会いの重さもあってか二人の仲は急速に深まっていく。人はよく誰かと話すことで状況や心境の整理をつけるものだが、梨子はまさに千歌の女房役となっていた。そうしたわけで、三話から千歌たちの目の前に現れたマリーは、てっきり千歌と梨子が「Aqours」を立ち上げたものだと思っていた。

 俺は十話まで観て思ったわけだが、曜は“手のかからない良い子”だ。衣装デザイン・製作、ダンス練習のコーチングを一手に引き受け、明るく社交的で内外の人と仲良くなる。なるほど確かに頼りたくなる器量だ。
 そして、何よりも聞き分けが良すぎる。「もっと千歌と一緒にやっている感覚を得たい」という願い、身も蓋もなく言えばエゴではあるものの、紛れもなく彼女の動機なのだ。しかし、チームが大きくなるにつれ任され事が分散するし、千歌の聞き役は依然として梨子が担うといった状況を認識して、ずっと願いを抑え込んだまま活動を続ける姿は、まさに聞き分けのいい良い子だ。急遽、梨子のポジションに移動した曜は、ステップを合わせるため、持ち前の器用さでそれまで千歌と梨子がやってきたタイミングに合わせてしまったことはその一例と言えよう。「与えられたのは“梨子の代役”でしかない」と、甘んじて受ける彼女の姿には同情を禁じ得ないよ。
 そんな曜の複雑な心境を察したマリーは、「すれ違わないように、思いの丈をぶつけてみろ」とアドバイスを送ったものの、結局彼女は何も言えなかった。大事な予選を前にして、ぶつかることでチームの雰囲気を壊すことを良しとしなかったのもあるだろうし、何よりも自分のエゴを出し切ることが恥ずかしかったのだろう。この一連の流れでも、曜は遠慮している。

 結局のところ、まず梨子からのとりなしがあって、気持ちが通じ合っていたことを理解し始め、千歌の提案からそれが本当だと悟った。梨子の代役ではなく、曜として。曜と千歌だけの構成に変えようという提案は、まさに曜が願っていた「一緒にアイ活を楽しむこと」に他ならない。聞き分けのいい女の子は、ちゃんと自分を見てくれていた二人の友人のおかげで、一先ず悩みを吹き飛ばせた。






◆理路整然としたドラマか、面白みのないドラマか

 今まで燻ってきた千歌と曜の関係性だが、なんかこう煮え切らない結末に帰結するとは思っていなかった。話の筋は整っていたけど、非常に中庸な味付け、盛り上がりに欠けるドラマだったんじゃないのかな。

 なぜ面白みがないのか?
 俺が思うに、大きく分けてドラマ外の構造的欠点とドラマ内の構成難の二つに問題があったと思う。
 まずドラマ外の話。本作の特徴として、<一話完結式><シリアスは描くけど引っ張りすぎない>が挙げられるだろう。<一話完結式>を採ることで、ある特定のキャラクターを深堀することは『ラブライブ』シリーズにおける慣用句だ。LL_S1-11-13のように週を跨いだ構成とする場合もあるが、原則的に一エピソードの中で完結する。
 次に、本作はシリアスなドラマも含むが、その度合いが過ぎないようにしている。これはまあわりかし分かりやすい形で表出しているだろう。三年生組の和解がテーマの九話では、コミカルな描写を混ぜることでシーンの緊張を和らげている。また、脚本レベルの話だが、一話完結式であることを活かして、重い話を引っ張っていない点も見られる。(※三年生組の話はLLS_S1における謎として位置していたので、伏線が用意され連続性が意識された横筋のドラマであった)
 さらに言及すると、“キャラの株をなるべく下げないこと”にも相当に気を配っている。物語の展開に当たっては、キャラの行動に整合性や正当性を確保しなければならない。そこの処理をミスってしまうと、いわゆるキャラアンチが出てしまうわけである。例として適切ではないが、LL_S1-11-13におけることりの言動に不快感を抱いた人間が沸いて出てきたのも、そういう理屈があるからだ。【余談:それまでの話で、控え目で自分の主張をあまりしない子と描かれていたのだから、整合性は取れているし、そもそもフツーの女子高生なんだから、悩んだまま何も言えずに終わるというのも当たり前の話である。ことりの場合は、キャラの特性を尊重して描いた結果叩かれるという事態であり、叩きに回った視聴者の考え方とことりのモノの観方がズレていただけに過ぎない】余談が過ぎたが、本作においては視聴者がどう受け取るかも含めてキャラの動きを計算しているように思う。なるべくキャラが嫌われないような、言動の理由づけやその表現を心がけている。 
 別の観方をすれば、キャラクターたちがぶつかり合って成長する描写を意図的に削っているように思える。本作で真に分かり合うためぶつかっていったのは、千歌と梨子<一話~二話>、果南とマリー<三話~九話>の二組くらいだ。ぶつかり合いにはそれぞれの主張と理屈があり、その対立構造が視聴者にとって納得しづらいものだと、キャラが叩かれる原因となる。また、<シリアスを引き摺らない>というのもあって、全体的に話があっさりなんだよね。



 次にドラマ内の話。俺はようやく十一話で、今まで張ってきた千歌と曜の衝突が描かれるもんだとてっきり思っていた。マリーの助言通り、燻ってきた思いを届けて分かり合うものだと見ていた……

 

 

千歌「実は分かっていました^^」

曜「気持ちは通じ合っていたのでもう大丈夫です^^」

 


 ファッッ!?お前ら舐めてんのか!舐めてるだろ!?いやいや違うだろ違うだろ。ちゃんとはっきり言えよ!なにニュータイプごっこしてるんだ、ええぇ!

 あのさあ、これはダメでしょうよ。これじゃあ納得できない視聴者出てくるでしょうよ。マリーのアドバイスを受けたのは曜なのに、千歌と梨子から言うんかい。そこは、やはり曜から切り出さなきゃダメだろ。お前本気で自分のエゴを押し通す気あんのか? あとね、「千歌と梨子はちゃんと分かっていました・知っていました」で、肝心の曜はそれで満足しているってなんかおかしいよ。そこはちゃんと改めて互いに口に出せよ。確かにね、千歌ははっきりと曜の願いを感じ取っていたさ、果南たちとはケースが違う。でも、「ちゃんと言わなきゃ伝わらない」と三年生が身を持って学んだことを軽視するような描写にしたのは流石にいかんでしょ。画面の外では話し合ったかもしれんが、視聴者は画面内で描いたことしか分からないわけなので、そこはやっぱりちゃんとぶつけ合う姿を描くべきだった。今まで溜めてきたポイントなんだから、ドラマの中心である曜と千歌の“掛け合い”をしっかりと描くべきだった。このままじゃあずっと曜は、いい意味でも悪い意味でも“物分りが良すぎる子”という印象だよ。
 あと、梨子が二人の間を紡ぐっていうのも頭の上ではかなり納得できるんだが、全くもって釈然としない。それはきっと曜と梨子の関係性が見えづらいからだ。ちょいちょい会話を挟んだり、携帯端末の着信画面を写真にしていたりと、多少の描写がそれなりに友情を育んできたのは分かる。けれども、この二人はそれ以上でもそれ以下でもないというか、描写が足りないためにいまいちな印象をぬぐえない。千歌の真意をずっと聞いてきた立場故に、千歌を軸にした関係故に、梨子だけが二人の気持ちを改めて繋げる位置にいるのは分かる。だから、これは理屈の上からすれば正しい。でも、結局今までと同じく“美味しいところ”を梨子と千歌に奪われっぱなしだ。二年生の関係性も含めてフォローしたかったんだろうけど、処理の仕方が悪い。

 どのキャラも失点と言えるような言動は大してないんだよね。

・マリーは「ぶつかり合い」を助言
・自分のやりたいことがエゴであることを自覚し、言いづらさを抱く曜
・梨子は遠くにいながらも友達を思い、二人の気持ちを繋げようとする
・曜の気持ちを察し、二人のやりたいことを提案する千歌
・千歌がちゃんと見てくれていたことに安堵し、気持ちを入れ替える曜


 かなり綺麗にまとめてはいるんだよ。上記で批判はしているが、マリーの件は別にそこまでの落ち度ではないだろう。「ちゃんと言うべき」と言われて、伝えられる人がいればできない人もいるっていう話にすぎない。それに言い合うことだけが、分かり合うことじゃない。今回の話は理屈からするとミニマムでムダの構成だと俺は思うよ。
 しかし、俺は偏屈で語るのが好きなんでね、趣味的な見地から敢えて言おう。

 まったく盛り上がりのないドラマだったよ!!!!!

 今まで溜めてきたものなんだから、そこは掛け合いを描かなきゃ視聴者心理として納得できない。「実は知ってました」ってなんだよ、普通怪獣チカチーどころかコイツ完璧宇宙人チカチーになりつつあるだろ!「どのキャラの株を下げない」ことを意識し過ぎたためか、千歌が“周りを見えすぎている”人間になっている。
 そんなにキャラの欠点や失策を描くのが嫌か!?甘えているんじゃないぞ!弱さや失敗があるからこそ、キャラは魅力的に映るんだよ。それらを乗り越えて成長するからこそいいんだよ。欠点や致命的なミスをやらせないことだけが、“キャラの株を下げない”描写手法じゃねーぞ。
 分かっているのなら、なおさら曜はちゃんと思いを届けるべきだったし、その姿を描くべきだった。そういえば、前回の梨子とのシーンでは言葉を繋いだのに、今回やらないのはどうかと思うぞ。加えて、梨子の繋げ方にしても、「実は千歌ちゃんはずっと気にしてました」なんてすげー身も蓋もない言い様で、気持ちの上では釈然としないよ。気持ちを繋げようとするにも、もうちょっと上手い処理があったはずだ。あんなヒントという名の正解を渡すような繋げ方ってどうなの?曜を励まし、背中を押す梨子をやりたかったんだろうけど、そこはもうちょっとボカした発言で良かったんじゃないか?その上で曜と千歌がしっかりと向き合えば、観る側もより心理的に納得できるドラマになったんじゃなかろうか。三年生たちが話数を跨いで、ボロボロになりながらも気持ちを繋げ合ったのに比べたら、コイツらすげーふぬけてるよ。
 曜は“物分りいい子”で終わってしまったこの話は、すげーイラついたエピソードだから改めて考えを整理して書き出したい。





 さて、残り二話となった『ラブライブ!サンシャイン!!』。今後の展望だが、順当に考えれば、フツーに次の大会でどさん子スノーと対決して、どさん子や観客たちから「アイツら輝いてんな!」って認めてもらうんじゃないですかね、はい。