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――「輝きたい!」と言えるために 『ラブライブ!サンシャイン!!』第八話感想

 今回はなんと豪華二本立て!! 八話と九話のレビューを連続アップしちゃうぞ!!!!(ええ、前回のサボりのツケですよ……)
 それでは小ネタ抜きでいきます。

 

 

 

 

◆お前ら何がやりたいの?

 「Saint Snow」を始めとした周りのスクールアイドルたちのレベルの高さに面を食らっていたところに、イベントの順位結果を知ってしまった「Aqours」。それに追い打ちをかけるかのような、鹿角姉妹からの叱責はキッツイなー。

  観客やファン、評論家、一般層など様々な位相の人がいるが、やっぱり同じことやってる人からの高評価が一番嬉しいもんで、互いにプレーヤーだからこそ見え る世界があるんだよねえ。というわけで、同じスクールアイドルから「お前ら舐めてんじゃないよ!」って言われるのは、得票結果よりも堪えると思った次第。 さらに言われた内容もさあ、「スクールアイドルとしての要求には堪えうるが、ラブライブを目指すようなトップレベルではない」と切って捨てられたわけ で……

 ここで、「Saint Snow」の『Self Control』について少し踏み込みたい。というのも、あの曲はあの姉妹のスタンスを明確に表すものであるからだ。
  率直に言って、『Self Control』は、彼女たちの野心を表現した曲である。改めて聞き直したけど、歌詞がすっごいな。アイツら本気なんだよ。本気でラブライブで勝ちたいっ て思ってやがる。<最高と言われたいよ><特別なもの目指そうじゃないか>といった詞に代表されるように、『Self Control』は、鹿角姉妹の抱くスクールアイドルにかける情熱がストレートに詰まっているのだ。

 彼女らは 「Aqours」と同じく人気急上昇の枠と推察しているが、同じタイミングでランキングを上げてきた存在だからこそ千歌たちを注目していたのだろう。本気 でラブライブを目指している対等なライバルと見做してハッパをかけてみたはいいものの、そうではなかった。9位と30位という実力差。(実際、八話までの 「Aqours」楽曲のダンスは、ナンバリングシングルのものと比較すればかなり簡素となっている。これは意図的な演出だろう)姉妹からすれば、「遊びで やっているんじゃないんだよ!」と言ったところなのだろう。

 ネット界隈では批判的な意見が目立つ「Saint Snow」だが、俺は面白い存在だと思うの。彼女たちもまた「輝きたい!」って願って努力しているスクールアイドルに過ぎず、それにただ真面目すぎるだけ なのだ。「輝きたい!」ってのはつまるところ、どこかの誰かに「アイツすげーや!」って認めてもらって成立する。今回のイベントでは、相対評価による採点 ながらも「Aqours」の得票数は0であり、誰からも「すごい!」と認めてもらえなかったのだ。何一つとして輝いていなかったわけだ。こうした結果を受 けて、「Saint Snow」からの一言は、槍でどってぱらを貫かれるような痛みだっただろう。この後千歌たちは、辞めるのか、もっともっと本気で輝こうとするのか――何が やりたいのか?を再び選択することになる。

 

 

 

◆素直に向き合う

  高海千歌って思っている以上に大人な子だよね。メンバー内で一、二を争うほど結果にショックを受けたはずなのに、やせ我慢をしてメンバーへの気遣いを優先 させる。これはとてもじゃないけど、普通はできない。だってさ、始めてガチでやりたいことで完膚なきまでに叩きつけられたわけよ? 波乱は多々あったもの の、約4600台から99位へと急激なステップアップでのし上がってきた。東京に呼ばれるほどの実力をつけたはずなのに、全く太刀打ちできずに終わり、仕 舞には同業者から「その程度の力でラブライブを目指しているなら無理だ」と切って捨てられるわけで……悔しいに決まっているし、悲しいに決まっている。そ んなの発起人が一番感じているはずさ。

 反骨心に富んだ人間ならば、「だが、ここから這いやがってやるぞ!」と 声をかけられるだろう。しかし、今まで物事に本気で取り組むことがなかった人間に、こうしたリバウンド力があるものだろうか? 彼女にとって、ここまで 鼻っ柱を折られたのは未体験のゾーンである。そうした異常事態の中でもチームへの気遣いだけは忘れずにいたことは、彼女の強さだ。ただ、あの気遣いが自分 の方にも向いた発言だったりするのも、また人間味を感じるよ。

 帰りの道中ずっと仮面をつけ、“大人”を演じて いた千歌に対して、本心を問いただそうとした曜との掛け合いも味わいがあるねえ。「諦めない!」と言ってほしい曜と、実際は本心を漏らせないほどに追い込 まれていた千歌。優秀なアスリートである曜は、「Aqours」で一番にリバウンド力を持つ人間である。ずっと“期待”を受けてきた彼女は、実のところは 千歌と相性が悪いのかもしれない。
 才能豊かなれども、スランプを抱えた過去のある梨子は、曜に近いけれども、千歌と曜の間にいる立場なのかもし れない。ここまでずっと千歌の本心や気づきは、梨子との対話で明かされているのもそうした立ち位置ゆえなのかねぇ。こうした描写を見るに、梨子と曜は千歌 を起点とした対照関係が生じているように思う。

 得られた結果と責任はチーム全員が負うべきで、たった一人が背 負わなくたっていい。そしてなによりも「Aqours」は、みんなが手を繋いでいって出来たチームである。変に自分を飾らず、5人に素直に気持ちをぶつけ ればそれでよかったのだ。仲間はいつだって自分の気持ちをしっかり受け止めてくれるのだから。

 

――世界中が果南を待っている 『ラブライブ!サンシャイン!!』第七話感想

◆小言

・後半戦のステージが幕を開けた『サンシャイン!!』。六話で製作されたPVの高評価により、東京のイベントへ参加することに。新たな始まりを感じさせる展開。東京スクールアイドルワールド事務局とか怪しい団体名だなあ笑。あやしい笑。

・未だに「μ's」のグッズが売られているとかはんぱねーな。『ラブライブ!』の頃から思ってたけど、「μ's」はロイヤリティーをブン取ってもいいだろ笑。スクールアイドル事務局はちゃんと払ってんのかァ!ええっ!!

・浦女壊滅!イナカモノズのファッションセンス!! ダサい、ダサいぞ! お前ら壊滅的なセンスだぞ!! もうね、あれはおのぼりさんとかそんな次元を超越していたぜ。千歌ちゃんよ、君はお笑い芸人か・・・ルビィしょうがくせい感MAXで草生えましたわ。

・好きなものには一直線に向かっていき、早速身に着けると、曜とヨハネ氏の似た者同士感がちょこっと描かれていたな。あと、梨子さんキャラ変わりすぎやしませんかねえ・・・新ジャンル「壁クイ」。







 

◆聖なる雪は何をもたらす?

 新展開を迎えるにあたり、新たなスクールアイドル「Saint Snow」が登場。鹿角姉妹は双子っぽいね。あの神田明神での出会い、「Aqours」の前という順番、因縁がついて回りそうだなあ。どうやら「Aqours」と同じく新興のスクールアイドルユニットのようだが、境内でのアカペラに千歌が惹かれている様子からするに、この姉妹の実力は中々に高いと見る。次回にて描かれるであろう彼女たちのパフォーマンスは、果たして「Aqours」にどのような影響をもたらすのか。追って確認していきたい。






◆真の「Aqours」胎動へ

 一話から六話において描かれたのは、千歌たち二年生と一年生が、“内浦”のスクールアイドルとして成長していく過程だ。あの六話でようやく、アイ活をやっていた当時の三年生たちの世界へ入門したというわけだ。そこに至るよう、マリーは、<講堂を満員にしろ>、<内浦と浦の星の良さを理解しろ>と、パフォーマンスと心構えについて説いてきたのだろう。
 六話と七話から察するに、当時の三年生たちは今の「Aqours」同様、東京でのイベントへ呼ばれるほどに名を挙げ始めていた、新進気鋭の実力者であった可能性が高い。つまり、千歌たち六人はまずあの三人と並ぶために力をつけることが求められていたわけである。まあでも、三年生たちとの実力差は多分まだ埋まり切っていないと思うのよ。ずっと“日課”を続けている果南、しなやかな舞で千歌を魅了するダイヤ。スクールアイドル復活を熱望するマリーもトレーニングを欠かしていないはずだ。

 その東京でのイベントで、三年生たちは思うような成果を上げられないどころか、スクールアイドルとしての自信をも打ち砕かれたのかもしれない。「今の実力で行っても……」というダイヤのセリフは、トップグループと地方のグループの実力差を肌身で感じた者しか言えない言葉だ。ルビィにかけた「自分を強く持つこと」というアドバイスもまた深みがあるね。
 しかし、今の「Aqours」には当時の三年生たちとは違う力がある。高海千歌のひたむきさと全てを受け止める力が折れない限り、千歌はチームを着実に最適解へと導くだろう。毎回言ってるし、一々例を挙げるのもちょっと面倒なので根拠は省略するが、少なくとも彼女は初めての期待と重圧、東京での経験をバネにしてみせるはずだ。全ラブカストーンを賭けたっていい。

 挫折を乗り越えると賭けるマリーは、かつて夢破れた者として、再起を賭ける者として、試練を与えてきた者として、そう期待しているのだろう。三話や六話にて、果南から「本気?」と二回も問われたが、マリーの意思の固さは描かれてきたが、今回もまたこの子の芯が描写されている。「東京で折られても、本当にやる気なら何度でもやるに決まってるだろ」って感じで、マリーの意思の強さを感じるよ。この強情とも取れる姿は、どこかのにっこりの魔法使いとかなりダブるね。八話以降の彼女の動きは要チェックだ。

 期待とプレッシャー、他者のパフォーマンス、演者にはいろんなものがつきまとう。それらを全て受け止め、自分の心のままに歌い、踊れるか。心行くまでに楽しめられるか。『ラブライブ!』シリーズにおける解決策はいつだってシンプルである。かつてのスクールアイドルたちが辿り着いた境地へ、九人の少女たちは旅立とうとしているのだ。






◆世界中が君を待っている

 少なくともマリーは、東京での挫折を乗り越えている。じゃなきゃ戻ってこないし、果南やダイヤを挑発するような発言も、「Aqours」への叱咤激励もできないはず。そして恐らく、「逃げてなどいない」と言ったダイヤも折り合いをつけ切っているのだろう。だからこそ、彼女たちは千歌たちの東京行きについて話すことができるのである。
 翻って、松浦果南はどうなのか? 彼女は未だに挫折を引き摺っているのだ。妹分である千歌と曜の初ライブをまともに直視しなかった点や、部活中の三人への余所余所しい態度は、果南が過去の失敗から立ち直っていない証拠なのかもしれない。加えて、シンプルで力強いマリーの言葉に逐一「本気?」と聞き返すことで、壁を作っているように感じる。あの頃から立ち止まっているから、果南は「Aqours」の東京行きについて何も言うことができないのだ。
 もし、八話にて「くやしくないの?」と声をかけられるとすれば、それはまさしく彼女なのではないだろうか。妹分の奮起を見て、ようやく彼女は二年前の苦節から立ち上がる時が来るのかもしれない。そして、彼女が復活する時こそ「Aqours」が集う瞬間と予想している。

――“内浦”のスクールアイドル 『ラブライブ!サンシャイン!!』第六話感想

 今回はレビューを書く意味があるのかと思った。なぜなら一話としての完成度もさることながら、前半戦のクライマックス として見ても文句のつけようがない出来だと感じたからだ。今回の六話は、アタマでの理解を超え、直感で理解する、感覚を揺さぶるものだったのではないかな と。
 それではこの秀逸な六話を、千歌たちの目線で振り返っていきたい。

 

 

 

◆気づかなくてはならないこと

 今回の話は、廃校阻止のために内浦の魅力を伝えるPVを作ろうと動く→出来た映像を一度マリーに見せるがドギツク指摘される→海開きで街の人々が繋がる光景を見て、改めて内浦の良さを理解するという流れだ。
 本エピソードで問われたのは、「Aqours」が“内浦”のスクールアイドル足りえるのかという点である。

  廃校阻止のため、千歌たちは一度「µ's」の足跡を探ってみるが、有効な手段は見つからなかった。それはそうだ。「µ's」の場合、スクールアイドル黎明 期だからこその利点があったからだ。その利点とは、「音ノ木坂にも今流行りのスクールアイドルがいる」というアピールだけで事足りていたことである。つま り、9人の女神は、人々を惹きつけるパフォーマンスを積み重ねることに注力することで廃校を阻止したのだ。
 かと言って「µ's」が、音ノ木坂ひ いては秋葉原のスクールアイドルとして自分たちが暮らす場所への理解を持っていなかったわけではない。『ラブライブ!S1-9』で描かれたように、彼女ら は自然と自分たちが帰属する場所の魅力を知っていた。音ノ木坂があり、アイ活の拠点である秋葉原。そこは新しいモノ古いモノ問わず、何もかもを受け止める 場所である、と。そして、「µ's」それ自体が、9人の抱く情熱を受け止める場所だ。つまり、「µ's」は、“音ノ木坂”、“秋葉原”の良さを自然と内包 していたスクールアイドルであったと言えるだろう。

 では、内浦の良さとは何だったのか。ここまで 「Aqours」のドラマを見てきた人はすぐ分かるだろう。それは人々の繋がりだ。手を繋いだり、手を重ね合わせたりして行うコールを筆頭に、本作では 「繋がる」ことを丁寧に描写している。親友の本気を感じ取った曜。梨子の悩みに向き合い続けた千歌。花丸とダイヤへの思いやりで自分のやりたいことを押し 殺してきたルビィ。これら以外にもたくさんあるが、“輝きたい”という願いだけではなく、誰かと繋がろうとするメンバーたちのドラマも本作では描かれてい た。
 海開きいう行事に地域の人々も自然と集まる光景を見て、梨子や千歌は内浦の良さを肌で感じた。そして、内浦の魅力たる「人々の繋がり」は、 3話でも描かている。志満ねーちゃんが曜へ送ったエール「大丈夫、みんな温かいから」や、大雨の中ライブに訪れた町の人々がまさに「繋がり」そのものだの だ。
 自然、地形、交通網、人口、商業活動の賑わいなど、町の良さを計る観点はいくるもある。最初は千歌たちも富士山の景色やアーケード街などを 魅力として紹介してきた。それは確かに内浦にある良さの一例だが、別に他の街にだって代替的なものがあるだろう。そうではなく、本質的な内浦の良さを千歌 たちは見つけなければならかった。街の魅力は、そこで暮らす人々の息づかいである。そして、学校とはそうしたその土地に生きる人たちが持つ特色を色濃く映 す場所なのではないだろうか。だから、“内浦”の学校に所属する「Aqours」は、自分たちの生活の土台となっている街の魅力に気づかなくてはならない のだ。

 

 

 

 

◆おらが町のスクールアイドル

  田舎というのは、若者にとっては退屈な場所かもしれない。変わり映えの光景と日々、ワクワクやドキドキを喚起するような出会いなんて望めない、本気で取り 組みたいものが分からない。田舎は、刺激や冒険を望む十代からするとある種の砂漠なのかもしれない。事実、千歌は東京に出るまで、やりたいことが見つから なかった。
 風の誘いにより、千歌は初めて本気でドキドキするもの、やりたいことを見つけた。田舎では無謀な挑戦と言われても、「あの人たちみた いにやってみたい!」という憧れのみで進んでこれた。しかし、憧れだけでは廃校の危機を回避できない。自分たちを支える場所の力を感じ取れなけばならな い。町の人々との繋がり、“内浦”のスクールアイドルならではのストロングポイントをようやく理解したからこそ、千歌は自信を持って「この場所から追いか けて見せる」と言い切れた。この時「Aqours」は、“おらが町の”スクールアイドルへと変貌したのだ。

ところで、やっぱりこの高海千歌という子は地に足ついてる。場当たり的で無軌道に行動するところも目立つけど、地道に答えを見つけていくところが一番の魅 力だ。喫茶店での作戦会議後の梨子との会話、PVを否定したマリーとのやりとり。何回も言ってるけど、千歌には全てを受け止めて前進できる力がある。

 

 

 


 今までのエピソードで描写を積み重ねてきたので、「ああこういうことか!」ってパンパン頭の中で話が展開するすごく気持ちのいい回だった。ストーリーマップが整理されているねぇ。
 ライブパートは、海開きの灯りとして使われていた提灯をスカイランタンへと見立てた演出に唸ったよ。歌も「繋がり」をトビラや階段に見立てていて、ようやく千歌が二話で言っていた「ユメノトビラ」っぽい曲がきたなと思った。
  常に厳しいハードルを課すマリー、いつもいいタイミングで助けたり声をかけるダイヤ、物理的な距離も気持ちも遠いけど必ず見守ってはいる果南。三者三様の 「Aqours」との繋がり方が面白い。あとマリーって戦友であったダイヤ果南にだけはカタコトじゃないんだよね。そこの見せ方も興味深いね。

 ちょっと余力があれば、前半戦の総括をしたいと思う。

――「好き」でいられる居場所 『ラブライブ!サンシャイン!!』第五話感想

 私事だけど放送日当日、沼津・内浦観光をしていたので、見ることができた場所が映るとちょっとうれしかったなあ。遂にヴェ―ルを脱いだヨハネ氏だが、最後の爆弾のせいでヨハネ氏のお話が飛んでしまったぜ。
  一部では「千歌の普通コンプレックスが爆発するフラグが立ってる」とか言われてるようですけど、俺はそうは思わない。この子は物事を真っ直ぐに受け止めて るだけだよ。その上で輝こうとしている。そういう大地に根差した力強さっていうのを千歌からは感じるなあ。全てを受け止めて前進しようとするところが、普 通怪獣チカチーの非凡さなのではないかな。

 

 

◆理性と本能で揺れ動く 善子/ヨハネ

【速報】ヨハネ氏、遂に学校へ。

イェェェーィィィイイイイイイイイイイイイ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

  ドラマCDや誌上企画では「ヨハネであること」に強いこだわりを見せていたが、アニメでは「ヨハネ」を捨てようともがく姿が描かれた。キャラの作り方うま いなあ。敢えて今まで見知ったヨハネ像と真逆にすることで意外性が出せるし、上手く「Aqours」が持つ共通項「輝きたい」へハマるように落とし込め た。

 “堕天使ヨハネ”ってなんなのか?というと、善子自身の「好き」であり、「ああなりたい」と願う理想像で ある。徹底して「好き」と向き合ったからこそ、“堕天使ヨハネ”がデフォルトになりつつあるのだ。でも、本人が言うように「普通の生活」じゃあ“堕天使ヨ ハネ”は必要ない。あんな尖った厨二病はそらなかなか受け入れてもらえないよ笑。そんな現実とちゃんと向き合い、曲がりなりにも克服しようとするところ が、津島善子というキャラクターの面白みだ。思っていたよりも理性的なんだよね。

 “堕天使ヨハネ”の本質を見 極めていなかったから、上辺だけをなぞったから、奇をてらっただけの動画となってしまった。しかし、海岸での話し合いで“堕天使ヨハネ”=善子だけの「輝 きたい!」であることを千歌たちはようやく悟った。“堕天使ヨハネ”という自分自身の輝きをただ1人で追求してきた善子だからこそ、“輝き”を掴まんとす る千歌たちは惹かれたんじゃないだろうか。そして、善子も好きを貫こうとする「Aqours」のファーストライブに心を揺さぶられた。それぞれがそれぞれ の「好き」なことで頑張ること――それが今回の学びだ。別に無理矢理に自分の「やりたい」を犠牲にしなくたっていい、それを受け入れてくれる人・場所がい るのならば。自分の「好き」を受容してくれる仲間と活かせる居場所。善子の堕天はこれから始まる。

 

 

◆マリーとダイヤがビビってるメールの中身

 最後のあの爆弾はいったいなんなんだああああああああ。

  俺、あのメール内容こそ「廃校問題」な気がするんだわ。そう思う理由は、三年生を動かすための舞台装置に最適だからだ。そのぐらいの動機がないとあの三人 は今の見守りポジションのままで終わっちまう。だってあの人たち今のところ能動的にも受動的にも「Aqours」に加わろうとする動機やそれを示唆するも のがないんだよね。

 

 仮定の話だけど、もし作中時間の二年前に「廃校 問題」があったとすればどうだろう?「やりたい」もさることながら、廃校から救うためにもスクールアイドルを始めるも母校の廃校回避に失敗するダイヤ果南 マリー。結局小原家からの多額の寄付金で事なきを得るが、マリー転校と失敗でスクールアイドルを辞めるダイヤと果南。
 そういうバックボーンがあれば、三人は動かざるを得ない。むしろマリーは、廃校が分かっていたからこそ理事長として舞い戻り、千歌たちに望みを託すためにバックアップしているのではないか。加えて、ダイヤも生徒会として、あるいは己だけで能動的に動くだろう。
 そして、来週復学するであろう果南が戻ってきた時に再び「廃校問題」が上がってきたことを知れば、作中ほとんど動きがなかった彼女の物語が動き出すきっかけとなる。

――自分らしさと変わること 『ラブライブ!サンシャイン!!』第四話感想

 『ラブライブ!』S1-4「まきりんぱな」をオーバーラップしたように感じられる今回。ディテールを見ていくと対照的 に描かれていることがよく分かるだろう。そして、この四話は、『ラブライブ!』S2-5「新しいわたし」と前述の「まきりんぱな」を見事に掛け合わせたエ ピソードなのである。今のところ二話と四話の出来がずば抜けているなあ。 んー四話の方がよくできてるかも。

 

◆小ネタ

ヨハネ氏、不登校期間が2カ月疑惑。そろそろ出席日数やべーだろwwwwwwあ、花丸の回想で木の棒持ってなんか遊んでてかわいかったよヨハネ氏。
・割り当てられた部室は、確実にスクールアイドル部があったことを示唆しているな。ホワイトボードに書かれた歌詞はいったいどんな曲へ化けるのか?

 

 

◆戻ってきたのは何のために

  果南とマリーがようやく邂逅。理事長自ら、果南をスクールアイドルへとスカウトしにきたとはねぇ……。「そうでなければ戻ってこないよ」とは、マリーも けっこう「スクールアイドル」に拘っているなあ。その発言に対して感情を露わにして去る果南。んー最初の果南のマリーへの応対だが、ギクシャクはしていな いように見えるけど果南は何か微妙に思っている感じだなあ。果南とダイヤが会うことで三年生の謎がようやく見えるのかねぇ。

 

 

◆らしくあって欲しい

  硬度10のラブライバー黒澤ダイヤさん、エリーチカ推しであるもよう。ルビィと仲良く「µ's」ごっこと、本当に「µ's」のことが好きだったんだな。そ んな彼女が「スクールアイドル」を嫌うようになった出来事が何か早く観たいところ。スカーフと夏服からして一年次の5-7月に起こったらしいが、やはり 「2年前」だ。三年生のドラマが一番の楽しみだなあ。
 さて、ちょうどそのスクールアイドルを嫌い始めた時。ダイヤは、ルビィに「そんなものを見 せるな」と八つ当たりしてしまった。自分とルビィが育んできた好きを、妹の愛するものを否定したことを彼女はずっと気にかけていたようである。ルビィがダ イヤに決意を語るシーンを敢えて四話でカットしたのは、彼女のお当番回にて披露する腹積もりなのだろうか。
 しかし、この黒澤ダイヤという人、なかなかに面白い。不器用で頑固だが、三話の蓄電器の用意にルビィへの気持ちとその内面はよく周りや人を見ていて、気配りがしっかりできる優しい子だ。

 

 

◆自分らしく輝く

  好きなことを好きと言うこと、好きなことを貫くことは自己主張の一つだ。好きなものとは自分らしさを形成する力を持つ。ルビィは極度の人見知りで引っ込み 思案で自分を主張することができないが、それでも唯一スクールアイドルへの愛だけは表示してきた。大好きな姉から否定されても、面と向かってそれに立ち向 かえなくとも、好きを捨てずに育んできたのだ。そうした意思の強さは、まさに芯が強い花陽と似通う所であろう。親友とともに新たな仲間と居場所を手に入れ た彼女は、これから自分らしく輝いていく。

 

 

◆変わることとあこがれ

  親友の後押しに頑張る姿は、どこかの誰かを想起させた花丸。そんな彼女がやけに目を離せなかったのは、「LWB」を特集した記事だ。その「LWB」は、凛 が「女の子らしさ」へのコンプレックスと向き合い変身した契機の曲である。だからこそ彼女は、「LWB」の凛に惹かれたのだ。
 彼女もまた自分に ないものにある種の羨望を抱いていた。地味でいつも隅っこにいて本を読むおとなしい子。華麗に踊ることもできない、きらびやかさもない。そんな自分でもス クールアイドルになりたいルビィの隣に立てるのか、キラキラと輝くスクールアイドルになっていいのか?「なっていいんだよ、変わっていいんだよ」、羨望の 目で眺めていたウェディングドレスの少女はそう語りかけていた。

 

 

◆A面/B面

 今回の話でモチーフとなった楽曲は、「Dancing stars on me !」と「Love wing Bell」だ。同じシングルで販売された二つの楽曲をルビィと花丸の加入のドラマに被せるとは面白い設計だと感じる。
  今回の話で特によかったなと思うのは、俺が「まきりんぱな」で不満に思った点を解消していたことだ。その不満というと、物語の時間的制限と三人分を描く都 合上、後押しをした二人の「µ's」加入への意思がうやむやで、真姫と凛の分まで花陽に意思決定が集約されていた点だ。音楽への思いが示唆されていた真姫 はともかく、特に凛の加入は割とその場のテンション感があってけっこうおざなりだなあと思っていたわけよ。そのアンサーはS2-5「新しいじぶん」でよう やく示されるんだけど、いやそこはやっぱなるべく早めにやっときなさいよと。
 翻って今回の「二人のきもち」では、後押しをする人が加入へ至るま でのドラマも同時に展開している。そして、「まきりんぱな」を先に見ている我々からすると、ルビィ:後押しを受ける、花丸:後押しをするという構図が見え るだろう。しかし、エピソード全体を注視してみると、本当に背中を押されているのは花丸なのだ。導入の語り部でもある彼女を中心にして「二人のきもち」は 描かれている。
 自分らしさを再確認して生まれた「Dancing stars on me !」と、自分と向き合い変わることを応援する「Love wing Bell」。スクールアイドルをやりたい(=自分らしく輝きたい)ルビィと、自分にないものを手に入れてみたい(=キラキラと輝きたい)花丸。今回の構成 は秀逸だったと思う。

――ダイスキの守り人 『ラブライブ!サンシャイン!!』第三話感想


 やはり予想通り、三人の初ライブを描いた第三話。ここをどう作るかが前半戦一番の見所であり、本稿ではそこについて筆を進めたい。

 本論へ入る前に以下小ネタ。
・善子来ちゃったよォォ~~!この子ようやく学校に来たよォォォォ!!登校日じゃないから非公式記録だけどな!!(キリッ)それはそれとして、「Aqours」の山あり谷ありなライブは彼女の中に何かを残した様子。果たして彼女の物語はどう展開されるのか。
・ 小原家金持ちすぎワロタwwww娘に理事長職を与えるほど寄付してるとか、浦の星女学院関係者はマリーのパッパに頭が上がりませんなあ。てか、鞠理事長と ダイヤけっこう仲いいじゃないすかあ。もうちょっと拗れてるかと思ってたわー。千歌たちに敢えて高いハードルを課したのはなんでですかねえ。それくらい乗 り越えなきゃダイヤと“誰か”から認めてもらえるスクールアイドルにはなれないという彼女の計算なのかな。
・花丸×風呂敷のカップリングが一番好きです、はい。似合いすぎでしょあれ。
・そして、渡辺曜さんチートすぎやしませんかねぇ?身体能力・ダンスのチェック・衣装デザイン・衣装制作・常識人枠・明るく打ち解けやすい、ウルトラマンゼロ並にスペック盛ってますなあ……。
 ・ 果南さん、ラスボス感マックスじゃないすか。一人講堂の外で聴く姿はとても強そうでしたわ(小並感)。内浦から離れた離島で暮らす彼女がなぜライブを知っ ていたのか。千歌らがメールでもしたのかねえ。なぜ会場へ来たのか?ここに何かドラマが隠れていそうだ。彼女はスクールアイドルという言葉に陰りを見せる が、µ's=スクールアイドルであることも知っている。ここらへんの描写が後にどう展開されるか、なによりもマリーとの邂逅がとても楽しみだ。

それでは以下、とりとめもない感想。

 

 

◆なんだかんだで見守ってくれた人

 豪雨と電線破壊という攻略不可に等しい壁のせいであるが、はっきり言って三人だけでは「Aqours」のファーストライブは大失敗していただろう。けれども、なんとか成功に漕ぎ着ける。そこにはある二人の計らいがあった。

  まずは、千歌の姉の一人である美渡ねーちゃん。振り返ると、彼女は一話からずっと千歌のスクールアイドル活動をけっこう近くから見ていて、三話でも曜にア イ活とライブについて聞くほどだ。いつも千歌とは軽妙なやり取りをしているけれども、彼女はずっと「Aqours」を見守っていたように思える。千歌の本 気度を見て聞いた彼女は、開始時間に遅れつつも多数の同僚を引き連れ、心が折れた妹にいつもの軽口で「頑張れ!」とエールを送ったのだ。なかなか粋なこと をするねーちゃんだなあ。千歌はきっとあの夜さらにプリンを献上しただろう(笑)。

 もう一人は、ご存じ硬度 10のラブライバー・ダイヤ。敵対関係に近いながらも、彼女もまた、美渡ねーちゃんと同じく一話からずっと「Aqours」を見てきた一人だ。豪雨の中 ちゃんと開場時間にいるわ、電力を手早く復旧させるわと、とても面倒見がいいじゃないすか!! さらには「スクールアイドル人気を育んできた過去のアイド ルと、町のみなさんのおかげであることを忘れるなよ」と、ちゃんと苦言を呈するのも忘れない。なんて素晴らしい先輩なんや。こうまで支えてあげた動機は何 かが語られる日がとても楽しみである。

 『ラブライブ!』シリーズにおいて、見守る人たちに支えられるって演出は珍しいように思える。まだ始まったばかりのアイドルと、それを支える人。これは、現実世界における『ラブライブ!サンシャイン!!』が置かれている現状を模した描き方なのかもしれない。

 

 

◆癖?設計?計算?

  三話まで観て、本作の作劇手法で特徴的に感じるのは感情線の運び方。これは酒井監督の癖なのか、はたまた脚本・花田氏の癖なのか、あるいは狙った演出なの か? 制作インタビューが上がってこない内は真相はまだわからないが、とにかく感情線の運び方がストレートではないなと思った。
 今回の三話は特にその傾向が強く、視聴者はけっこう疲れたんじゃないかな。「え?まだなんかあるの?」と思ったんじゃなかろうか。

  「観客0を不安に思う(-)」→「マリーの言葉通り満員にできず解散が確定するものの、目の前にいる観客のために歌う(+)」→「電力供給が途絶えライブ ができなくなり戸惑う(-)」→「急場しのぎながらもアカペラで歌い出す(+)」→「けれども心が折れる(-)」→「大勢の観客の来場と電力復活により、 息を吹き返す(+)」

 ()で示したのは場面ごとの感情の推移なんだけど、紆余曲折ってレベルじゃねーぞ! 何 回も緊張状態をつくるもんじゃあないぜ。山谷を作りすぎてるよ。普通のドラマパートでやる分には、こういう緊張状態が続く展開もいいと思うんだよね。シリ アス系の話の方が俺好きだし。でも、ライブパートでいちいちそれを挟むのはどうなのか?という疑問が拭えない。やっぱり『ラブライブ』シリーズで一番観客 の気持ちが乗るシーンは、ライブパートなわけで。あのパートで得られるカタルシスがとても快感だったわけで。ライブシーンで生じる感情の高鳴りを滞らせて しまうのは正直危険じゃないのかと。
 
 当然今回みたいにライブの合間にドラマ要素を挟み込む演出手法自体は、しかるべき時ならば使って いい。でも、その肝心な使い方が難しいと思う。やっぱライブシーンで湧き上がる感情をブッチ切られるから。そこを如何に上手く繋げていくかってのが腕の見 せ所なんだけど、三話の演出は巧くないなと正直感じた。
 三人が息を吹き返した要因は、つまるところ街の「みんなが来てくれたから」である。しか し、それは広報活動を頑張った成果であり、電線ブチ切れるほどの豪雨でなければ、彼女たちは最初から賑やかな会場でパフォーマンスできた可能性がある。そ して、同僚たちを連れてきた美渡ねーちゃんの尽力も忘れてはいけない。後から振り返ると、「やったぜ!復活したぜ!」って感情よりも「これ実は苦境になっ てないんじゃあ・・・」という認識の方が強くなる。

 アカペラで歌い出すところまでは「おお、ええやん。まだア カペラがある!」って俺も気持ちが乗ってて、心が折れたところも「まあそらそうやろなあ。でも、パフォーマンスをしきれずに終わるとかアイドルとしてス テージに立っていないようなもんじゃないですか(泣)」って気持ちは彼女たちに寄り添ってたんだけども、実は美渡姉ちゃんの一言で「そうきたかー」ってな んか微妙な気持ちになっちゃった。なんでかというと、「ファーストライブに姉妹愛まで盛り込んでくるのかよ」と、要素多すぎないかと思ったからだ。加え て、エールを送って千歌を励ました描写が少し分かりづらいものであったことも影響しているだろう。

 電源復活も なあ……。ダイヤのアシストのおかげではあるけど、このサポートが、視聴者側に“燃え”を感じるほどの行為であったかというとそれは少し違う気がする。ダ イヤと千歌・梨子・曜の関係性は、まだ“燃え”を感じさせるほど育まれていないはずだ。だから、二年生組(もっと言うと視聴者)の感情とマッチしていな い。「ダイヤなんだかんだで面倒見いいな」とキャラは伝わるんだけどね。

 三人の「ファーストステップ」では、 大きく①集客の悪さと②電線の脱線による会場設備の全滅の二点が壁として立ちはだかった。しかし、結局のところ①(結果論だが)集まりが悪かったけれども 集客自体は成功しており、②知らない間に蓄電池を用意してもらったわけで、自分たちの力で危機を乗り越えたという印象がとても弱い。
 集客はまさ に彼女たちの努力だし、まばらな会場と停電という二つの壁に立ち向かおうとしたのだけど、最終的には折れてしまったのには変わりがない。息を吹き返した理 由は、「たくさんの観客が来てくれた」おかげである。この「ファーストステップ」で描かれたのは、そういうおんぶに抱っこな有様で、主役の恰好がほとんど ついていないライブシーンなのだ。
 これがね、アカペラで乗り切ったっていうものだったら、俺は「やるじゃないか!」ってなっていたと思う。見せ 方として面白いし、その方がコンパクトに纏まってて感情の波もスッと入るようになったはず。危機を二重三重にし、そこに美渡ねーちゃんやダイヤを盛り込む もんだから、話の筋や状況が把握しづらい。状況が認識しづらいので、観る側の感情も遠のく。三話まで観て感じるのは、各エピソードに盛り込む要素や話の展 開、演出がチグハグでスマートに纏まっていないことだ。

――出会いの意味とキボウノユクエ 『ラブライブ!サンシャイン!!』第二話感想

 端的に言って二話はけっこう面白かった。一話で無理矢理キャラ紹介などを詰め込んだおかげか。
 最初「青空 Jumping Heart」を聴いた時「いまいちだなあ」と思ったけど、なんか「まあいいんじゃねえの?」って変化した。CD出てからですかねぇ。映像的なことをいう と、ダンスのフォーメーションやカメラワークが合わさって余計に平面的に見える。奥行きを感じないPVだなあと。「恋になりたいAQUARIUM」の方が カメラワークが新鮮で面白かったし、立体感を感じた。この差はフォーメーションだけではなく、彼女らが踊る舞台の構造的違いも関係してるのかねぇ。

 第二話は梨子のお当番回。というわけで、「桜内梨子とはなんぞや?」と、一話で展開されたガールミーツガール「千歌と梨子の交流」が深堀された。

 

以下、とりとめのない感想。

 

 

◆硬度”10”のラブライバー 黒澤ダイヤ

 今回、ネタ的にも先の展開的にもこの人の暴走は面白すぎた。一話の「オリジナル楽曲でなければ、ラブライブに出場できない」発言より、「ダイヤはスクールアイドルに詳しいのでは?」と推察されていたが、まさか予想のナナメ上をブッ飛んだとは思わなかったぜ・・・

アンタ、ガチライバーかよッ!!
こりゃあイープラスのサバ落ちに台パンしたことのある人だね、俺には分かるッッ!!

  劇中描かれた彼女の「µ's」愛は千歌を圧倒するほど(というかあの描写ニワカをいびる古参()ファンだろ笑)。あれほどスクールアイドル「µ's」への 熱量を持つ彼女が、なぜスクールアイドル部を認めないのか? やはりここに三年生のドラマが集約されているように思う。
 1つに、ダイヤについて話す千歌と曜の会話に顔を曇らすルビィ。スクールアイドル絡みで、ダイヤがなんらかの手痛い失敗をしたことを示唆しているように感じる。また梨子とのやりとりにより、果南も「µ's」の存在をそれとなく知っていることが描写されている。

 

 

ユメノトビラ 桜内梨子

  今回、梨子はまさしく光明を見つけたのだろう。それは当然、演奏会からずっと探し続けていた海の音を聴けたからじゃない。部に引き込みたいという打算を捨 てて、ずっと真剣に寄り添ってくれた千歌と繋がったから。好きなものに夢中でキラキラと輝く千歌がいたから。千歌の「スランプを脱するまでのやどり木でも かまわない」はいいねぇ。彼女のキャプテンシーや思いやりを感じさせるセリフだなあ。
 梨子は、千歌をキラキラさせる「出会いを問う歌」を歌う。そして、全てを受け止め一緒に変わっていこうと手を差し出す千歌との邂逅は、彼女にとってまさにキボウとの出会いだった。「ユメノトビラ」は、ガールミーツガールのドラマをオーバーラップしている。

 

 

◆本作の構成について

  最後に、本作の構成について少し。一話二話と、「µ's」のTVシリーズ楽曲をテーマの1つに仕組む傾向にある。一話は始まりの歌、二話は出会いの歌。ど こまで「µ's」の歌と「Aqours」のドラマをオーバーラップさせるかは分からないが、この手法を楽しむのも本作の1つの観方ではないだろうか。
  現状、千歌とダイヤを筆頭に「µ's」のフォローワーしかいない。憧れを大切にすることはいいことだが、いつかは憧れから脱却すべきだ。憧れは大きなモチ ベーションとなるが、それは自分らしさとは別である。自分たち自身――「Aqours」としてどういうスクールアイドルになりたいか、「Aqours」と はどういうスクールアイドルなのかを描くのが本作の最終的なテーマなのだろう。