雑記2号

雑記置き場2号店

『ラブライブ!サンシャイン!! S2』最終回直前評

◆小ネタ(という名のIIWAKE

・前半評を書き切らずに別のネタ書くってどーなのよ?って思うけど、それはそれ、これはこれ

・前半評はきっと年末に書くさ!iPad届いたら書くさ!

・でも年末は「TLJ」の感想を優先して書きそう(KONAMI)

・フォースを探求するジェダイ・アプレンティスとしては、同作のライトサイドなテーマも暗黒面なアプローチ両方を感じ取ったので、殴り書きレベルででも書きたい所

 

 

 

◆勝ちたいですか?

個人的に12話で印象的に感じたシーンは、 姉様が投げ掛けた問いに千歌が返答できなかったシーンである。

というのも、まず「ラブライブ本大会を勝ち抜くことで、μ'sやA-RIZEが見てきた輝きを見ることができるのではないか?」という姉様たちの想いに否定的だった1期12話があったからだ。 当時の感想記事では言及してなかったけど、俺は同話で描かれた否定には真っ向から反対の立場である。

自分たちと同じく真剣にスクールアイドルやってる人の志や、勝つことの価値を安易に評して欲しくなかったからだ。また「勝つことで何かが見えてくる」という発想は、概ね正しい。同じステージに立って、ようやく見えてくるものは沢山ある。

 

時は進んで2期7話。学校の生徒たちに背中を押された千歌は、「学校の名を遺すために勝つ」ことを宣言する。心情的には非常に理解でき、「ドン底女たちの最後の逆襲が此処から始まるー!」と高揚するシーンである。

しかし1期12話があったため、「自分たちが勝ちを望むのはいいのかよ!」とツッコんでしまった。

 

故に、神田明神で誰かの願いを目の当たりにして、自分が拠って立つ場所を千歌が振り返る一連のシーンは秀逸である。

他者の願いを見て勝つことが怖くなり、仲間たちに「勝ちたいですか?」と問いかける千歌。それに対して8人は、決勝大会への意気込みを超えて、「Aqoursとして過ごしてきた日々」への答えを千歌に送っている。

8人の回答は、発起人としてみんなを繋いだ千歌にとって最上のエールであったと思う。 みんなから最後の一歩を踏み出すための勇気をもらったから、千歌は「0の呪縛(=負けることへの恐怖と推察)」を乗り越え、ステージに立てたのだろう。

姉様の問い掛けから始まった一連の描写で、 「自分たちの輝きとは?」の導出まで綺麗に済ませてて巧みさを感じるし、1期12話と2期7話へのエクスキューズも兼ねているように見えて、製作陣の誠実さを感じた次第。

 

 

 

◆終わりに

さて、ラブライブ優勝は、果たして浦の星の名前を遺すための必須手段であろうか? 恐らく、優勝した方がいいことは間違いない。どんなコンペティションであれ、優勝チームという存在はだいたいファンから覚えてもらえるから。

しかし、世の中には優勝を逃したとしても語り継がれるチームがある。Aqoursはそういう存在になるんじゃないのかと、個人的には予想している。

彼女たちの本当の目標は、「浦の星の存在を遺すこと」。つまり、人々がこれからも浦の星のことを語ってくれる“状態”である。優勝はそれを達成するうえで、最も効率的な“手段”でしかない。

 

 

 

◆追記

2期7話は、ちょうど仕事で「仮面ライダーウィザード」を観ていたから、「これもうウィザードじゃん。浦の星はコヨミだった!?」みたいなファーストインプレッションが強かった(笑)。

『ラブライブ!サンシャイン!! S2』前半評①

■前置き
・アニメ開始されたら懲りずにまたやろうって思ってたけど、すっかり書くの忘れていたわwwwww
・今の所、そこはかとなく「上げて落とす」雰囲気を画面から感じていて、どういうドラマになるのか楽しみ
・1期の時も「酒井監督ガー」「花田氏ガー」って批判があって、「オイオイヨ」と辟易していたが、3話で個人批判がまた吹き荒れていた。当然、オイオイヨとなったね
・この個人批判についてはいつか真面目に述べたいと思う。映像作品の多くは総合芸術……行先を決める船長と海図を示す航海士も大事だが、彼らを支える船員の働きを無視するのはどうか
・これ執筆開始したのは4話後なんだよね。士郎、僕はね…またサボったんだ……
・だって筆が進まないもーん


とうとう折り返しの7話が放送されたので、今回は前半評としてまとめたい。
一部は4話放映時点で書いたものをイキママにしているのであしからず。

 


<表記について>
(凡例)
ラブライブ!S1』第7話→LL_S1-7
ラブライブ!サンシャイン!! S2』第4話→LLS_S2-4

 

前半評ということで、本稿では縦筋を追っていく。本作の縦筋とは、①廃校問題、②自分たちの輝きの2点。縦筋を描いた回は以下の通りだ。

●問題提起がされた第1話
●最初の壁をブチ破りに行く第2話・第3話
●想いを受け継ぎ、リベンジを果たす第6話
●希望が砕かれてもなお、全てを受け止めて前へと進む覚悟を決めた第7話

 


■第1話「ネクストステップ」:世の中そんなに甘くない
 LLS_S1-13では、「MIRAI TICKET」(筆者は同曲が大好き)を披露し、Aqoursが0を1に変えた所で終わった。2期が始まる前、俺は「次の大会で敗退・廃校問題回避」or「同予選で敗退・廃校問題回避」と予想していて、どちらにしても廃校問題は回避できたんじゃないのかって思っていた。同回は、「視聴者=劇中予選会場にいるみんな、浦女希望者とのリンク」をテーマにしたお話。そういうわけで、廃校問題はある程度解決したもんだと思っていた。

 現実は違っていたようだぜ!!!!

 確かにラブライブ予選大会を契機に、浦女の入学希望者数は0から1へ、1から10へと増えた。だがそれは微小な変化であり、浦女を存続させるに足る数ではなかった。
 さらには、予選敗退という結果。これは想定していたけど、廃校問題とのダブルパンチで描かれると流石に「ダニィ!?」ってなったわ。幻想的でエモーショナルなLLS_S1-13の続きがこれだぜ? 容赦ねぇなぁ(笑)。
 やはり「世の中そんなに甘くない」のである。そんなわけで千歌たちは、スクールアイドル活動を通して、【①廃校問題を解決し、②自分たちだけの輝きを見出す】船旅へ身を投じるのであった。

 LL_S2-1のように、具体的な目的がドカーンっと掲げられた1話。LL_S2-1は「ラブライブ優勝」、LLS_S2-1は「廃校阻止」と「自分たちの輝きの追求」。ただ、LL_S2が「ラブライブ優勝」を軸にしつつも、「9人がどう「μ's」と別れるのか?」というドラマを最後に描いたように、なんらかのギミックがあるんじゃないかなーと思う次第。
 それはもしかしたら、「もしもキセキを起こせなかったら?」なのかもしれない。『電撃G'sマガジン』では、廃校確定の中で懸命に戦う9人の姿が描かれている。この設定を初報で知った時、上手い差別化だなと思う反面、「そんな絶望的な状況の中で頑張るのって、とても苦しいことなんじゃないか?」ってまず思った。そして、その中でも必死に輝こうとする姿は、確かに愛おしく応援したくなる気持ちにさせられたものである。
 廃校問題はあくまでAqoursの軌道をより魅力的に描くための舞台装置。この道具をどう扱うのかも楽しみの1つである。
 本作のテーマは以下の2つなのではないか?と予想。

(1)何度も苦境に立たされても諦めずに立ち上れるか?
(2)自分たちの輝きとは何か?

(※ここまで4話放送後に書いた原稿イキママ。ホントなんだからね!)

 

 

■第3話「虹」:描くべきものとは
 なまじ核心に近い枝葉が見事にアレだったため、放送後に手厳しい批判が吹き荒れた回。
 学校説明会とラブライブ予選大会それぞれで楽曲と衣装を制作しなければならかったのが2話で現れた「壁」。今回はその後編として2話で作られた楽曲たちが暴れる回であり、天災により生じた「学校説明会」と「ラブライブ予備予選」のダブルブッキングという難題をどう乗り越えていくか?が、話の“肝”であった。
 
 最初は「どちらを取るか?」という議論が進んだが、メンバーを2班に分けてそれぞれのステージに立つ、2正面作戦でいく運びに。まあ、妥当だけどつまらない判断だなって思ったんだけど、こっからがビックリな展開で、

◆説明会担当の4人が持ち場放棄で予選会場へイン
◆予選演技後、説明もなく自分に続けと道を走り出す千歌(※道中にて予選会場→学校説明会へ間に合わせる作戦が説明された)

つまり……

◆相談・連絡せずポジション放棄した説明会組
◆腹案を提示しなかった2年生組
◆2話と同じく、ただ状況に飲まれるだけであった黒澤姉妹

という有様。

 

 お、おう……(汗) なんかスペースガバガバなんちゃってゾーンディフェンスを見た気分になったせ……ちょっといかんでしょ。

 

 本エピソードが放送された後、「モノレールで移動ってなんだよ!?」とか「姉たちが間に合っているジャン?」とか「説明会をズラせばいいじゃん」みたいな批判が起きていた。が、肝心なのはそこじゃないだろ。
 この話の臍は、<廃校回避のため、予選と説明会のダブルブッキングに対し、どうAqoursが足掻いたのか?>である。彼女らが足掻く姿・道程が十分に描かれていれば、移動方法とか手段は問題ではない。
 故に、小生は上記で言及した、メンバー間でのすれ違いのみを俎上に上げた。廃校撤回という、絶対に負けられない目的が掲げられている中で、明確に持ち場を放棄してしまった説明会組は特に批判されても仕方がない。(2年組も腹案を提案しなかったという失策はあるものの、賭けに近い策だった故に言い出しづらかったのは分かる。そして、そんな策に縋ってでも二兎を追おうとする意思には力強さが感じられた)

 別にそれぞれが考える最善が異なっていることや、独自に最善を尽くそうとするのはいいんだ。だって人間だもの。
 なので俺が問題にしたいのは、説明会組へのフォローが不足していたことだ。廃校撤回を強く願っいるのであれば、入学希望者へ直にアピールできる説明会を投げ出すためには、それ相応の覚悟がないと難しいんじゃなかろうか。だから俺は、説明会を捨てでも予選会場へ駆けつける葛藤をもう少しでもいいから描いてほしかった。

 

ヨハネ「(9人じゃないAqours)それでAqoursと言えるの?」
果南「やっぱり私たちは1つじゃないとね」

 

と、説明会組が駆け付けた動機は提示されていたけれども、ちょっと薄味だなあと。これで納得できるかっていうと無理(笑)。加えて、コンクールと予選大会へ別れてもなお互いを思いやり結果を残した梨子と8人を描いたLLS_S1-11が、意図せずしてノイズになっちゃってるような気がするぜ。
 廃校決定した7話を観た後だと、次善策である「2正面作戦」ではなく最善策たる「9人で2会場に出る」を敢行できたせいか、規定人数まで届かなかったことへの言い訳する余地が潰されてて、えげつねーなって思っちゃったね。

 <予選と説明会のダブルブッキング>、<廃校回避>への解を、<チーム一丸となって立ち向かうこと>と設定されているのなら、1つになるための過程に不足があると飲み込みづらいのは道理かなと。
 まあフォロー描写がなかったのは、恐らく2曲分のライブシーンを描かなければならないという時間的制約によるもの……いやまあ削れるシーンあったと思うけどさ……。

 

(※6話以降は後日アップします)

――お前らそれで0を1にした気でおるんか?「みんなの夢」を叶えたつもりか!? 『ラブライブ!サンシャイン!!』第十三話感想

表記例:『ラブライブ!』二期九話→LL_S2-9、『ラブライブ!サンシャイン!!』一期十二話→LLS_S1-12




◆小ネタ・小言

ヨハネ氏がルビ丸に抱き着いたシーンって、一見すると感動的なものなんだけど、特段この三人の真面目な絡みが描かれていないので「そっかー」感、いわゆるとってつけた感が出てくる。幼馴染、リトルデーモン四号と面白い素材は転がってたハズなのに、ロクに料理されずに終わった
・逆に、あんだけすれ違いと衝突を描いた三年生組が三人で仲良くしんみりしてると、「よかったねぇ」と心底思う。当然、千歌を軸に擦れてた二年生組もまあ納得がいく。つまり、一年生組だけドラマがなかったね
・「私たちも廃校阻止のために何かやりたい」と思い立って言うことが、「一緒に予備予選で歌いたい」だあ? まず、自分たちにできることを懸命にやり切れよ。虎の威を借りようとしている弱者か!? いつだって最後に頼れるのは自分自身の力なんだよ!! ウルトラマンに頼っていいのは、ギリギリまで頑張ってギリギリまで踏ん張ってもピンチのピンチのピンチの連続の時だけだぞ!!!!
くぎゅううううううううううううううううううううううううううううう






◆最終回は何がやりたかったの?

 残念ながら、拙僧もまだよく分からん。考えを言わせてもらえば、ひとえに「みんなで叶える物語」ごっこがやりたかったんじゃあないの。
 LLS_S1-1-12では、「µ's」への憧れを在り様へと昇華し、自分たちだけの輝きを掴もうと決意した「Aqours」のが描かれてきた。(個人的にはそれは六話でやり切れよと思った次第だが……)「じゃあ残り一話なにやるの?」ってなったら、それはもう「Aqours」が頑張る姿であり、十二話で目標として掲げた「0を1にすること=浦女の良さを伝える、学校説明会に来てもらう」に他ならない。千歌の「9人だけじゃない」ってセリフも、「みんなで叶える物語」を内包している言葉だし、生徒たちが「10!」と叫んだのも同じことを意味している。


 そして、敢えて最後に廃校問題を持ってきた理由がある。それは、分かりやすく“みんな”を導入することができるからだ。この“みんな”とは、しごろくトリオを代表とする浦の星女学院の生徒、内浦に住む人々、浦の星女学院に興味を抱くJCたちのことを指す。なんで、“みんな”を導入するかって? それあれよ、上記のカテゴリーに属す人々は一様に我々視聴者と言い換えても遜色ないからだよ。

 つまりな、

・しごろくトリオを代表とする浦の星女学院の生徒、内浦に住む人々→すでに「Aqours」のファンとなった人たち
・浦の星女学院に興味を抱くJCたち→全十三話を通して、新たなに「Aqours」のファンになってくれる人たち

 という図式だ。

 この図式があるので、最後に廃校問題を持っていき、0を1にするという「みんなで叶える物語」をやろうとしたわけよ。千歌が「みんな歌って!」とそれに呼応する生徒と内浦の人(ファン)の描写がやりたかったわけだ。それを描いて、「Aqours」と“みんな”を繋げたかったわけですわ。そして、十二話で描いたことを受けて、「Aqoursの戦いはまだ始まったばかりだ!!!!」エンドに持っていきたかったのかなと。






◆謎寸劇の意味

 俺も分からん(2回目)。
 物語の側面から考えるに、グループ紹介のシーンだったんじゃあないんですかね。本選に繋がる予選大会では、そういう時間が設けられていて、スクールアイドル「Aqours」がどういう経緯で立ち上がったのか、何のために輝こうとしているのかを伝えるシーンだったと思う。
 寸劇を入れた理由は二つほど考えている。一つは、これまでの“追体験”。敢えて十二話までの流れを視聴者にまた見せることで、「うんうん、そうだったよね(泣)」と視聴者の心を揺り動かし、視聴者と「Aqours」の距離感をさらに縮めて“繋げる”ことが、寸劇の目的だ。
 二つ目の理由は、幻想性の演出といったところだろうか。あの寸劇からラストまでの一連の流れは、なんというか時が止まっているように思った。「Aqours」が見せた輝きを、一瞬一瞬丁寧に表現したかったのかなと。そして、あの寸劇が入るもんだから、我々視聴者の代理人と言える浦女生徒たちが千歌の「みんな歌って!」に呼応しても、あまり違和感がないというか、勢いと幻想性で違和感をブッ潰そうとしている(笑)。「ちょ、待てよ」みたいなツッコミを無理矢理叩き潰そうとした感じだな。要は、あの幻想的な演出には、「Aqours」とのリンクをさらに強める役割があったのかなと思っているわけ。「Aqours」と視聴者の距離感をさらに縮めたかったのだろう。

 





 あ、好意的解釈はこれで終わりな。ここからは独断と偏見で叩き切らせてもらうぜ!!

 


◆実際は、違った

 そう。悲しいかな、実際の視聴反応は作り手の想定外だった。感想をチラホラ見れば、「なにあの謎寸劇?」という声は割りと多かったし、あの曖昧なラストのおかげで「ちゃんと終わった感じがしない」といった感想も挙がっている。
 本作は「繋がり」を一つのテーマとして、「Aqours」内外の繋がりを丁寧に描いてきた。振り返れば、様々な「繋がり」を思い浮かぶだろう。作品のテーマのように、最終話では我々視聴者・ファンとも「繋がろう」としたわけなのだが、残念ながらその意図はあまり伝わらなかったし、繋がれなかった人がいた。

 



◆じゃあなんで繋がれなかったのか?

 あの寸劇を持ち込むことで、なんというか“あっちとこっち”というか“箱庭感”というか、純然たる境界線が引かれたように、最初俺は思ったのよ。画面の中から画面の外へと急に追い出されたというかね。(もっと言うと、あの謎寸劇で冷めたということだ……)その上で、あの幻想的なパフォーマンスとラストが来るので、こうした境界の外にいる感覚や虚構感覚がさらに強まる仕組みになっていると思った。つまり、寸劇からの一連の流れによる「ファンとAqoursを繋げる」機能が、完璧には作動していなかったのだ。ていうか、逆に距離を作っちゃったよね。

 最終回に納得がいかない人の理由を整理すると、

・ “みんなで叶える物語”と、ファン(視聴者)とのリンクを上手く使ってきた本シリーズでは珍しく、その繋がりを断ち切るかの表現になってしまったから
・テーマ「繋がり」を描いてきた作品にしては、虚構的描写を用いて“あっちとこっち”を演出してきたから

というところかなと。

 廃校問題を媒介に、「Aqours」と浦女生徒、内浦の人たちが繋がった。でも、唐突に「私たちも何かやりたい」と出てくるもんだから、対応しているはずの視聴者は「?」となっちゃう。
 最後の0が1に変わった描写からして、「Aqours」が浦の星女学院ととまだ見ぬ浦女生徒候補を繋げたのも分かった。しかし、この浦女生徒候補も言い換えれば、画面の向こうの我々なんだ。だから、一部の視聴者からすりゃあ、“あっちとこっち”と明確な境界線を引かれているので、なーんで0が1に変わったのかサッパリだと思うよ。「ホンマに私たちと繋がろうとしているのか?」と感じちゃうんじゃない?




 


◆余談

 で、俺が本作全体の構成において最大のミスだと思うのは、まさに「Aqoursの戦いは始まったばかりだ!!!!」エンドにしたことだ。これに尽きる。過去のシリーズ作品では、現実とのリンクを非常に上手く使ってきたのだが、本作はその運用方法をミスったなと。
 多分、過去作からの続投ファンも本作からの新規ファンもその多くは、<「µ's」の足跡を辿っていき、最後には自分たちの道を探そうとする、「Aqours」の自分探しストーリー>ではなく、<最初から「Aqours」が「Aqours」としてひたむきに頑張るお話>を期待していたんじゃなかろうか。
 自分探しの旅が終ってやることが「みんなと叶える物語」ってのは、なんか順序が飛んでるように感じるよ。もっとやることやってからじゃないのか。十二話もかけて、企画立ち上げからセカンドシングル発売ごろまでの「Aqours」の立ち位置の説明されてもねぇ。アニメ化の話が出た時期には、「Aqours」独自の立ち位置を確保しつつあって、その後のニコ生でも徐々にちゃんとしたファンができてきたわけで。そこを反映してシリーズ構成ができていれば、また違った流れになったのかなと思った。



――二つの0を1に 『ラブライブ!サンシャイン!!』第十二話感想

なんかまとまり切らなかったんで、テキトーに書くことだけ書いて投げる。加筆はするかもね。




 


◆小ネタ

ヨハネ氏の前回のラブライブの「だいたい合ってる」感すげーわ
・トランクスルーならぬ、ダイヤスルー
・果南さんセクシーダイナマイッすぎる件。電車内でのマリーの揉み方はセンスありすぎだろwwwwww
・もはや一大ジャンルだな、「壁ドン」「壁クイ」




◆もう一つの“0”

 予備予選突破に沸く八人だが、その後すぐに残された難題が降ってかかる。それは、ご存じ廃校問題。説明会予約者がなんと0人。コイツはやべーよというわけで、作戦会議に移る千歌たちだが、妙案が思いつくわけでもなく。
 曜が発した「µ's」はすでに廃校問題を解決していたという言葉を受け、千歌は「µ's」がいかにして同問題を乗り越えたのかに思いを馳せる。問題を抱えた千歌が、部屋に飾った「µ's」のポスターを見つめるこの描写は、これまで何度も見られたものだ。例えば、LLS_S1ー6。PVを作成していた時も「µ'sはどうしたのか?」と、九人の女神の足跡を辿ろうとする。


 ところが九人の女神はなーんちゃ残してなかった。なんのヒントも残していなかった。それを知った千歌たちの目の前に現れた少女は、階段を駆け下りるのでもなく、ジャンプで段を飛び越すのでもなく、なんと手すりを滑って階段を下った。この穂乃果似の少女は、想像もできない方法で階段を下った。これは、露骨なくらいに分かりやすいやり方だよね。敢えて穂乃果に似せることで、「µ's」の精神性を新規の視聴者にも分かりやすく描いている。
 「µ's」に関するものがなにもない事と、少女の創造性に溢れた行動。二つの事柄から「Aqours」は、「µ's」の在り様を学んだのだ。

――“手のかからない良い子”は不遇である 『ラブライブ!サンシャイン!!』第十一話感想

 俺は独善的かつ偏屈な人間なんでね、好き勝手言わせてもらうぜ。だって、どう描くか楽しみにしていたのに、大して面白くなかったんだもん。ていうかね、正直に言ってあれはやっちゃいけないでしょうよ。こんな話では盛り上がるわけがないぜ。



 


◆小ネタと小言

・ダイヤさまがはしゃいでてカワイイ件。「Aqours」メンバーの中でも、一、二にを争うほど抑圧されていたであろうダイヤさまがああなるのは当然なんだな
・拙僧も生徒会の手伝いをやりたいですぞ、ダイヤさま!
・お当番会を終えた一年生組、特にルビィ花丸は、“マスコットキャラクター”感ばかりが目立つな
・ずっと絡んできたダイヤ・マリーと一、二年組の距離感がある程度確立されているのはなんとなく分かるが、スッと現れた果南と曜千歌を除いた一、二年生との距離感ってどうなんだ? そこを踏まえると、果南と梨子たちの交流を描く必要もあったのではないかな



 


◆本稿のポイント

・曜の願いはいったいなんなの?
・果たしてそれは魅力的に描かれていたのか?

 以上の二点を踏まえて、「友情ヨ―ソロー」を振り返りたい。いや、ホント今回はガッカリしたぜ。というわけで、早速始めよう。

※表記について:『ラブライブ!』一期九話→LL_S1-9/『ラブライブ!サンシャイン!!』一期三話→LLS_S1-3





◆願いは儚い

 曜は、始めて夢中になるモノを見つけた幼馴染と同じ時を過ごしたい、そんな願いを抱いてスクールアイドル活動に身を投じた。しかし悲しいかな。多芸な曜でも作曲スキルはなかった。オリジナル曲を必須とするラブライブに出るためには作曲ができるメンバーが必要だった。そこで、内浦に舞い降りたは梨子。作曲能力に秀でた彼女をスカウトできたことで作詞・作曲・衣装が揃い、ようやく千歌たちのスクールアイドル活動が始まったわけである。
 スクールアイドル活動で特に重視されるのは、作曲と作詞。つまり、オリジナル曲を製作する力である。この点は、硬度10のラブライバーことダイヤもスクールアイドル活動における初歩の初歩として挙げるほどだ。必然的に、発起人であり作詞を兼ねる千歌と、その歌詞を音にする梨子は、「Aqours」の中で中心的な立ち位置となっていた。野球で例えるなら、千歌と梨子はバッテリーの関係なのだろう。役割的にも、出会いの重さもあってか二人の仲は急速に深まっていく。人はよく誰かと話すことで状況や心境の整理をつけるものだが、梨子はまさに千歌の女房役となっていた。そうしたわけで、三話から千歌たちの目の前に現れたマリーは、てっきり千歌と梨子が「Aqours」を立ち上げたものだと思っていた。

 俺は十話まで観て思ったわけだが、曜は“手のかからない良い子”だ。衣装デザイン・製作、ダンス練習のコーチングを一手に引き受け、明るく社交的で内外の人と仲良くなる。なるほど確かに頼りたくなる器量だ。
 そして、何よりも聞き分けが良すぎる。「もっと千歌と一緒にやっている感覚を得たい」という願い、身も蓋もなく言えばエゴではあるものの、紛れもなく彼女の動機なのだ。しかし、チームが大きくなるにつれ任され事が分散するし、千歌の聞き役は依然として梨子が担うといった状況を認識して、ずっと願いを抑え込んだまま活動を続ける姿は、まさに聞き分けのいい良い子だ。急遽、梨子のポジションに移動した曜は、ステップを合わせるため、持ち前の器用さでそれまで千歌と梨子がやってきたタイミングに合わせてしまったことはその一例と言えよう。「与えられたのは“梨子の代役”でしかない」と、甘んじて受ける彼女の姿には同情を禁じ得ないよ。
 そんな曜の複雑な心境を察したマリーは、「すれ違わないように、思いの丈をぶつけてみろ」とアドバイスを送ったものの、結局彼女は何も言えなかった。大事な予選を前にして、ぶつかることでチームの雰囲気を壊すことを良しとしなかったのもあるだろうし、何よりも自分のエゴを出し切ることが恥ずかしかったのだろう。この一連の流れでも、曜は遠慮している。

 結局のところ、まず梨子からのとりなしがあって、気持ちが通じ合っていたことを理解し始め、千歌の提案からそれが本当だと悟った。梨子の代役ではなく、曜として。曜と千歌だけの構成に変えようという提案は、まさに曜が願っていた「一緒にアイ活を楽しむこと」に他ならない。聞き分けのいい女の子は、ちゃんと自分を見てくれていた二人の友人のおかげで、一先ず悩みを吹き飛ばせた。






◆理路整然としたドラマか、面白みのないドラマか

 今まで燻ってきた千歌と曜の関係性だが、なんかこう煮え切らない結末に帰結するとは思っていなかった。話の筋は整っていたけど、非常に中庸な味付け、盛り上がりに欠けるドラマだったんじゃないのかな。

 なぜ面白みがないのか?
 俺が思うに、大きく分けてドラマ外の構造的欠点とドラマ内の構成難の二つに問題があったと思う。
 まずドラマ外の話。本作の特徴として、<一話完結式><シリアスは描くけど引っ張りすぎない>が挙げられるだろう。<一話完結式>を採ることで、ある特定のキャラクターを深堀することは『ラブライブ』シリーズにおける慣用句だ。LL_S1-11-13のように週を跨いだ構成とする場合もあるが、原則的に一エピソードの中で完結する。
 次に、本作はシリアスなドラマも含むが、その度合いが過ぎないようにしている。これはまあわりかし分かりやすい形で表出しているだろう。三年生組の和解がテーマの九話では、コミカルな描写を混ぜることでシーンの緊張を和らげている。また、脚本レベルの話だが、一話完結式であることを活かして、重い話を引っ張っていない点も見られる。(※三年生組の話はLLS_S1における謎として位置していたので、伏線が用意され連続性が意識された横筋のドラマであった)
 さらに言及すると、“キャラの株をなるべく下げないこと”にも相当に気を配っている。物語の展開に当たっては、キャラの行動に整合性や正当性を確保しなければならない。そこの処理をミスってしまうと、いわゆるキャラアンチが出てしまうわけである。例として適切ではないが、LL_S1-11-13におけることりの言動に不快感を抱いた人間が沸いて出てきたのも、そういう理屈があるからだ。【余談:それまでの話で、控え目で自分の主張をあまりしない子と描かれていたのだから、整合性は取れているし、そもそもフツーの女子高生なんだから、悩んだまま何も言えずに終わるというのも当たり前の話である。ことりの場合は、キャラの特性を尊重して描いた結果叩かれるという事態であり、叩きに回った視聴者の考え方とことりのモノの観方がズレていただけに過ぎない】余談が過ぎたが、本作においては視聴者がどう受け取るかも含めてキャラの動きを計算しているように思う。なるべくキャラが嫌われないような、言動の理由づけやその表現を心がけている。 
 別の観方をすれば、キャラクターたちがぶつかり合って成長する描写を意図的に削っているように思える。本作で真に分かり合うためぶつかっていったのは、千歌と梨子<一話~二話>、果南とマリー<三話~九話>の二組くらいだ。ぶつかり合いにはそれぞれの主張と理屈があり、その対立構造が視聴者にとって納得しづらいものだと、キャラが叩かれる原因となる。また、<シリアスを引き摺らない>というのもあって、全体的に話があっさりなんだよね。



 次にドラマ内の話。俺はようやく十一話で、今まで張ってきた千歌と曜の衝突が描かれるもんだとてっきり思っていた。マリーの助言通り、燻ってきた思いを届けて分かり合うものだと見ていた……

 

 

千歌「実は分かっていました^^」

曜「気持ちは通じ合っていたのでもう大丈夫です^^」

 


 ファッッ!?お前ら舐めてんのか!舐めてるだろ!?いやいや違うだろ違うだろ。ちゃんとはっきり言えよ!なにニュータイプごっこしてるんだ、ええぇ!

 あのさあ、これはダメでしょうよ。これじゃあ納得できない視聴者出てくるでしょうよ。マリーのアドバイスを受けたのは曜なのに、千歌と梨子から言うんかい。そこは、やはり曜から切り出さなきゃダメだろ。お前本気で自分のエゴを押し通す気あんのか? あとね、「千歌と梨子はちゃんと分かっていました・知っていました」で、肝心の曜はそれで満足しているってなんかおかしいよ。そこはちゃんと改めて互いに口に出せよ。確かにね、千歌ははっきりと曜の願いを感じ取っていたさ、果南たちとはケースが違う。でも、「ちゃんと言わなきゃ伝わらない」と三年生が身を持って学んだことを軽視するような描写にしたのは流石にいかんでしょ。画面の外では話し合ったかもしれんが、視聴者は画面内で描いたことしか分からないわけなので、そこはやっぱりちゃんとぶつけ合う姿を描くべきだった。今まで溜めてきたポイントなんだから、ドラマの中心である曜と千歌の“掛け合い”をしっかりと描くべきだった。このままじゃあずっと曜は、いい意味でも悪い意味でも“物分りが良すぎる子”という印象だよ。
 あと、梨子が二人の間を紡ぐっていうのも頭の上ではかなり納得できるんだが、全くもって釈然としない。それはきっと曜と梨子の関係性が見えづらいからだ。ちょいちょい会話を挟んだり、携帯端末の着信画面を写真にしていたりと、多少の描写がそれなりに友情を育んできたのは分かる。けれども、この二人はそれ以上でもそれ以下でもないというか、描写が足りないためにいまいちな印象をぬぐえない。千歌の真意をずっと聞いてきた立場故に、千歌を軸にした関係故に、梨子だけが二人の気持ちを改めて繋げる位置にいるのは分かる。だから、これは理屈の上からすれば正しい。でも、結局今までと同じく“美味しいところ”を梨子と千歌に奪われっぱなしだ。二年生の関係性も含めてフォローしたかったんだろうけど、処理の仕方が悪い。

 どのキャラも失点と言えるような言動は大してないんだよね。

・マリーは「ぶつかり合い」を助言
・自分のやりたいことがエゴであることを自覚し、言いづらさを抱く曜
・梨子は遠くにいながらも友達を思い、二人の気持ちを繋げようとする
・曜の気持ちを察し、二人のやりたいことを提案する千歌
・千歌がちゃんと見てくれていたことに安堵し、気持ちを入れ替える曜


 かなり綺麗にまとめてはいるんだよ。上記で批判はしているが、マリーの件は別にそこまでの落ち度ではないだろう。「ちゃんと言うべき」と言われて、伝えられる人がいればできない人もいるっていう話にすぎない。それに言い合うことだけが、分かり合うことじゃない。今回の話は理屈からするとミニマムでムダの構成だと俺は思うよ。
 しかし、俺は偏屈で語るのが好きなんでね、趣味的な見地から敢えて言おう。

 まったく盛り上がりのないドラマだったよ!!!!!

 今まで溜めてきたものなんだから、そこは掛け合いを描かなきゃ視聴者心理として納得できない。「実は知ってました」ってなんだよ、普通怪獣チカチーどころかコイツ完璧宇宙人チカチーになりつつあるだろ!「どのキャラの株を下げない」ことを意識し過ぎたためか、千歌が“周りを見えすぎている”人間になっている。
 そんなにキャラの欠点や失策を描くのが嫌か!?甘えているんじゃないぞ!弱さや失敗があるからこそ、キャラは魅力的に映るんだよ。それらを乗り越えて成長するからこそいいんだよ。欠点や致命的なミスをやらせないことだけが、“キャラの株を下げない”描写手法じゃねーぞ。
 分かっているのなら、なおさら曜はちゃんと思いを届けるべきだったし、その姿を描くべきだった。そういえば、前回の梨子とのシーンでは言葉を繋いだのに、今回やらないのはどうかと思うぞ。加えて、梨子の繋げ方にしても、「実は千歌ちゃんはずっと気にしてました」なんてすげー身も蓋もない言い様で、気持ちの上では釈然としないよ。気持ちを繋げようとするにも、もうちょっと上手い処理があったはずだ。あんなヒントという名の正解を渡すような繋げ方ってどうなの?曜を励まし、背中を押す梨子をやりたかったんだろうけど、そこはもうちょっとボカした発言で良かったんじゃないか?その上で曜と千歌がしっかりと向き合えば、観る側もより心理的に納得できるドラマになったんじゃなかろうか。三年生たちが話数を跨いで、ボロボロになりながらも気持ちを繋げ合ったのに比べたら、コイツらすげーふぬけてるよ。
 曜は“物分りいい子”で終わってしまったこの話は、すげーイラついたエピソードだから改めて考えを整理して書き出したい。





 さて、残り二話となった『ラブライブ!サンシャイン!!』。今後の展望だが、順当に考えれば、フツーに次の大会でどさん子スノーと対決して、どさん子や観客たちから「アイツら輝いてんな!」って認めてもらうんじゃないですかね、はい。

――海の音 『ラブライブ!サンシャイン!!』第十話感想


 夏の合宿回! 日常回を匂わせつつ、物語を展開させるのが『ラブライブ』シリーズの手法であるが、今回は改めてと言うか、やはりと言うか梨子の進退問題が取り沙汰された。

 

◆小ネタ

・ちょっと待て「海の家の手伝い」ってレベルじゃねーぞ!! 「海の家の経営」じゃねぇか!!!!!!!
・シャイ煮、堕天使の涙……俺は食べんぞーッッ!!カカロットーッッ!!!
・ノリノリのダイヤさん最高にくぁいいです! イエスユアマジェスティ!! てか、マジであれ海未ちゃんのトレーニングメニューじゃん!!
・姉の大暴走を見て喜ぶルビィ。そうだよなあ、今までずっとやりたいことを我慢してきた姿を見てきたんだもんなあ
・果南さんエロ杉問題2016、俺も眺めたい抱きつきたい





◆海より出ずる

 梨子は、<ラブライブ予選大会>と<ピアノコンクール>二つの選択肢を突き付けられた。これは必然である。元々彼女はピアノ一筋で活動していたのであり、スランプ脱出の契機の1つとしてスクールアイドル部に入ったのだ。ピアニストとして、どこかのタイミングでもう一度ピアノと向き合わなければならない。
 何度も歌詞を催促するほどに、スクールアイドル活動にのめり込んだ梨子は、ピアノとラブライブどちらを取ればよいか迷っていた。そんな梨子に対して、千歌は「いってこい」と快く背中を押した。大事な大会から抜け出すことに引け目を感じる梨子、梨子に思う存分好きなことを弾いてほしい千歌。互いを思いやる二人は、確かに分かり合えていた。





 ちょっともう一週間も経っているんでね、本稿はここまで。まあその代わり次項はすげー長々書いたから許してくれ。

――親の心子知らず、子の心親知らず 『ラブライブ!サンシャイン!!』第九話感想

 前回の記事で「連続更新する」言ってたのにやってなかった件。仕事じゃなくて趣味でやってるんだから、更新するする詐欺かましたっていいじゃない!
 閑話休題、ようやく九人揃った「Aqours」。本稿では、すれ違ってばかりいたあの三人について考察していきたいと思う。




◆小ネタ

ヨハネ氏必殺技持ちとかワロタwwwwwワイにかけてくれてもええんやで()
・ルビィとダイヤの姉妹演出をすごい盛ってきたな。ヨハネ氏の必殺技くらった時のリアクション、「ピギィ!」などなど。
・ヨ―ソローさん制服に見境なさすぎでしょ、地面に高飛び込みダメ、ゼッタイ。
・そういえば、梨子もまた何もできずに舞台から去った苦い過去がある。彼女もまたどこかでその過去と向き合う必要があるのではないだろうか。





◆思い出と未来、今この瞬間

 八話までで描かれてきたように、マリーは過去のために動いている。果南とダイヤとともに過ごした時間を、二人ともう一度過ごせる日々を取り戻すことが彼女の本懐だ。転校から旅立って以降ずっとそれだけを夢見て、二年も耐えてきたマリーの思いはすさまじい。わざわざ何度も煽って、果南とダイヤの熱を甦らせようとし、果南から明確な拒否をされても立ち向かう姿が、彼女の情熱を端的に示している。
 目的を果たすためには、一番にスクールアイドルを拒絶する果南を説得しなけれならない。ここで肝心なのは、果南がスクールアイドルを挫折した理由だ。それを分からないまま説得したところで梨の礫というもの。我々視聴者やマリーは、例の東京イベントが挫折の原因であると予想していたわけだが……


 果たして松浦果南は、誰かのために汚名を甘んじて被ることができる人間のようだ。
 負傷したマリーに怪我を悪化させないため、将来を期待される親友の邪魔をしたくない――その一心で果南はパフォーマンスを放棄する。歌えなかった原因は自分の弱さと切り捨て、もうやりたくないと逃げる振りをした。
 マリーをスクールアイドルから解放するためだけに、ステージで歌わないってとんでもない度胸だよ。別に「出演をキャンセルさせて欲しい」と、主催に声をかけることも選択肢にあったのだ。それを敢えてステージで立ち尽くすことにしたのは、やはりマリーのため。単純にキャンセルを掛け合えば、マリーに自分の負傷が原因だと思わせることになるかもしれないと、果南とダイヤは予想したのだろう。それにマリーの強靭な意思は、負傷のために棄権した程度では絶対に挫けない。故に、自分がパフォーマンスできなかったように仕向けるしかないのだ。千歌といい果南といい、気を遣いすぎだぜ……
 いくら友のためとはいえ、せっかくの舞台で三人で今まで頑張ってきたことを披露せずに終わるとは、果南自身きつかったのは言うまでもない。加えて、マリーを無理矢理スクールアイドル活動に引っ張り出した体面すらもブン投げようとした。「どんなことにも諦めない」と評される果南は、なるほど一本気で筋をキチンと通そうとする性格なのだろう。親友の将来のために自分の哲学も簡単に曲げ、ずっと“分からず屋”を演じてきた不器用な友情は、彼女の美徳でもあり、ある種の残酷さを表しているだろう。
 だって、他方から見れば、それは優しさという名の“身勝手”に他ならないのだから。マリーの本当にやりたいことを確かめず、自分が考えうるマリーの未来のために動こうとする……果南の真意を知らず、勘違いしたまま果南を過激な手で励まそうとしたマリーもまた、自分勝手な優しさをぶつけていたに過ぎない。こうした不器用な優しさは、どこにだって転がっている。良かれと思って動いたことが裏目に出て、軋轢が生じる。お互いを思いやり、分かり合うことは難しい。


 「逃げたわけじゃない」と零したダイヤは、実のところマリーと果南、両者の気持ちも事情も知っていた。つまり、板挟みの立場にいる人だ。
 思えば、この人はいつもどこかで何かに挟まれているように見える。ひた隠しにしたスクールアイドル愛と見せかけの反スクールアイドル<一話~三話>、妹への態度<四話>、そして果南と鞠莉<四話~九話>。
 彼女はどちらに偏るということもなく、一つの公平さをもって見守ってきたように思う。彼女は、本気で戦う人間にはとても優しい。三話のファーストライブを救ったのも、廃部確定でも設備不良で事故っても歌う千歌たちの気合を見たから。当然姉心もあるだろうが、ルビィの入部を許可したのも花丸の友情とルビィの本気を受け取ったから。
 そして、人の思いを真っ直ぐに受け止める彼女は、果南とマリーのすれ違いすらもずっと見守ってきた。マリーの将来を守りたい果南はマリーを遠ざけようとし、ダイヤは果南の“優しさ”を黙認する。その態度は対案を出しすらしないほど。
 言い方悪いけど、ダイヤは何もしなかった人とも評することができる。それぞれの思いを知っているのならば、親友ならば、両者を繋げようとする気持ちがあってもいい。<あれはマリーの将来を守るため><マリーは果南の傍にいたいんだ>と、双方に介入できる立場だったはずだ。だが、当時そうした差し出口をせず、二年越しにようやくあの時の“回答”を教えたに留まっている。そうした“奥ゆかしさ”に、ダイヤの美点を感じる。思う道を往く二人の邪魔をせず、その時その時の結果をあるがままに受け入れる。それもまた強さだ。